花火の歴史|ある意味、花火は平和の象徴だということ
2018/08/05
花火の歴史は火薬の平和利用がはじまり
花火の歴史は、中国の唐の時代(6世紀〜8世紀)に、黒色火薬が発明されたことにはじまります。硝石、硫黄、木炭を混ぜ合わせることで、爆発させる火薬は、10世紀の宗の時代に、銃へと発展し、13世紀頃にシルクロードを経てイスラム圏やヨーロッパに伝わりました。
火薬や銃の技術を応用して、イタリアのフィレンツェで花火が誕生したといわれています。武器ではなく、観賞用として火薬を使うようになったのです。
いいかえれば、花火は、もともと武器として発達してきた火薬の「平和利用」といえるわけです。
日本の歴史が花火を発達させた理由
日本の花火の歴史も、火薬の平和利用と深く関係があります。
日本に銃が伝来したのは16世紀の戦国時代ですが、江戸の平和な時代に入り、火薬は武器としてではなく、花火として発達していきます。各地の神社の奉納行事として、あるいは、花火屋「かぎや」が鑑賞用の花火を広めたりと、花火が伝統として根付いていきます。
そんななか両国の川開き(墨田川花火大会)で、「かぎや」「たまや」の花火屋が技を競い合うという伝統も生まれました。
江戸時代に日本の花火技術が熟成されていたったのは、やはり平和な時代だったからこそです。多くの国では、武器である火薬の開発や取扱いは、厳しく制限されるのがふつうだからです。
世界の技術がミックスされ発展し続ける花火
しかし、江戸時代の花火は、まだまだ、世界一とよばれる日本独自の技術は完成されていませんでした。
日本独自の花火技術のひとつである、きれいな球体に花開く花火が発明が、鍵屋の十代目によって開発されたのは、明治に入ってのことです。
そもそも世界中の花火の基本のかたちは、しだれ柳のようなものや、噴水のようなものが主流です。球体に開く花火は、日本独自の技術なのです。これが、日本の花火が世界一と呼ばれる理由のひとつになっています。
一方で、日本の花火の色は、和火とよばれる暗めのオレンジだけでした。青/緑/紅/黄色などカラフルな発色は、西洋で発達した花火技術です。
明治に入り、日本独自の技術である球体の花火が完成され、それが、西洋から色とりどりの火薬の技術とミックスされることで、花火の技術は一気に昇華します。
昭和時代には、花火大会が全国各地に広がり、夏の風物史として定着します。
平成に入ると、テーマパークなどで、西洋型の音楽に合わせた演出の花火などが、一年中打ち上げられるようになります。
そうした影響を受け、日本の花火も、スターマインなど西洋式の打ち上げ方法を取り入れたりと、どんどんダイナミックにゴージャスになってきています。
戦争がある地域では武器として利用されているはずの火薬。平和な時代だからこそ花火として楽しめることをしっかりと思いつつ、花火大会を楽しみましょう。