毘沙門天のご利益は? 参拝方法や全国のユニークな毘沙門天を紹介
2018/07/21
毘沙門天(びしゃもんてん)は、七福神や四天王のメンバーで、「闘いの神様」として知られています。
戦闘神のイメージが強いですが、実は、必勝祈願だけでなく、家内安全や蓄財・金運にも御利益があるとされ、全国各地の毘沙門堂は、庶民に親しまれています。また、古い木造の毘沙門天像が由緒ある寺院の本尊や脇侍(きょうじ)としてまつられ、国宝級になっているものもあります。
神様でありながら寺院にまつられている毘沙門天にお参りするときは、仏様なのか?神様なのか?悩んでしまうこともあると思います。
そこで、この記事では毘沙門天の御利益やお参りの仕方などの基礎知識について簡単に解説するとともに、全国各地のユニークな毘沙門天を紹介していきたいと思います。
毘沙門天は神様?仏様?
毘沙門天は仏様のなかまの護法尊
毘沙門天(びしゃもんてん)甲冑(かっちゅう)をまとい鉾(ほこ)を持った武将の姿をした闘いや蓄財の神様で、七福神のメンバーとして有名ですが、原則、毘沙門天は、お寺でまつられる仏様の仲間です。
毘沙門天は、七福神のメンバーとしてだけでなく、須弥山を守る四天王のひとりとして、また十二天のひとりとして、仏法を守る任務についている護法尊です。
護法尊には、毘沙門天以外にも、金剛力士(=仁王)や、帝釈天、閻魔大王、阿修羅、などが含まれます。護法尊はもともとインドの神様ですが、仏教に帰依して仏に仕え、仏教の教えを守護する役割をになっているのです。
仏様は大きく、次のように4つに分類することができます。
・如来(阿弥陀如来、大日如来など)…お釈迦様のこと。狭い意味での仏様。悟りを開いている。
・菩薩(観音様、弥勒菩薩など)…悟る寸前まで来ている高貴な修行者のイメージ
・明王(不動明王、愛染明王など)…強い煩悩を断ち切るため如来が強面(こわもて)に姿を変えている。
・天部…仏教に帰依した神々など
護法尊は、上記の分類の中では天部に属するタイプで、広い意味では「仏様」に分類されるものです。インドのヒンズー教や土着神に起源があるものの、仏教の教えのなかで生み出されたキャラクターですので、原則、お寺でまつられるものなのです。
毘沙門天は四天王のひとり「多聞天」でもある
さて、毘沙門天は、護法尊のなかでは、とくに活躍する範囲が広いキャラクターです。
というのもの、四天王のひとり「多聞天」であると同時に、単体では「毘沙門天」と呼ばれています。独立して毘沙門天としてまつられていることもあれば、七福神のひとりとされている場合もあります。また、密教では各方位の神である十二天のメンバーでもあります。毘沙門天は、何役もこなしている露出度がとても高い仏様だということがわかります。
四天王は寺院の本殿やお釈迦様(如来のご本尊)の守りについていることが多く、多聞天は北の方角を守る守護神です。ちなみに、四天王の特徴は次の表のようになります。
四天王の名 | 守りの方角 | 持っている武器など特徴 |
持国天(じこくてん) | 東 | 右手に剣を持っている。顔が緑のことも。 |
増長天(ぞうちょうてん) | 南 | 右手に戟(げき=槍(やり)の一種)や刀を持っている。顔が赤いことも。 |
広目天(こうもくてん) | 西 | 筆と経文を持つ。 |
多聞天(たもんてん) | 北 | 宝塔と鉾または宝棒を持つ。毘沙門天として四天王と切り離してまつられることが多い。 |
毘沙門天は、四天王とは別に、単体で活動する場合に使われる名前です。
本尊である如来像や観音様の像にならんでに、脇侍(わきじ・きょうじ)として、まつられることも多いですし、毘沙門天がお寺のご本尊になっていることもあります。
毘沙門天が神社にいる場合
毘沙門天は天部に属する護法尊のひとりとして広い意味での「仏様」に属しています。ですから、お寺のご本尊が毘沙門天だったり、お寺の境内に本堂とは別に毘沙門堂がありまつられている場合がほとんです。
ところが、まれに、神社にて毘沙門天がまつられることがあります。七福神めぐりの毘沙門天が神社にあるところもありますし、時には、お寺なのに鳥居が立っていることも少なくありません。
これは、江戸時代まで日本では、「神仏習合」と言って、仏様と神様を同時にまつるスタイルが主流だった歴史的背景があります。もともと仏教の天部のメンバーだった七福神が、御利益を叶えてくれる「頼みがいのある神様」として庶民に親しまれるようになったのも、仏教と神道をゆるくミックスしてまつる神仏習合という独特の文化的背景があったからこそです
明治維新の時に天皇を頂点とする神道を国家規模で推進したさいに、神仏習合が禁止されて、強制的に神社と寺院が分離させられました。
その結果、毘沙門天のように仏様の仲間でありながら神社でまつられるものが出来てきたわけです。
毘沙門天の特徴と、寅やムカデとの関係
毘沙門天は闘いと財宝の神
毘沙門天はもともと、サンスクリット語でバイシュラバナと、ヒンドゥー教ではクベーラと呼ばれる神様です。バイシュラバナはもともとは、帝釈天に仕え、北方の財宝を守る神でした。
それが仏教の天部のメンバーとなり四天王のひとりとして須弥山(しゅみせん)の北方の守りに就くようになります。四天王では多聞天とよばれますがこれはバイシュラバナの意訳で、毘沙門天は音訳になります。
バイシュラバナから四天王となってからは、中国唐代の武将のスタイルで描かれ、闘いの神としての性質を強めてきたようです。
このような背景から、毘沙門天が「闘いの神」であり「財宝の神」である、と言われます。
日本に毘沙門天信仰が入ってきたのは聖徳太子がきっかけですが、古くは国を守る守護神として平安京の門にまつられたり、朝廷が東北地方を支配する時のシンボルにも使われました。戦国時代には、毘沙門天の生まれ変わりと自ら称した上杉謙信や、兜のなかに常に毘沙門天像をしのばせていた武田信玄などに、闘いの神として崇められます。江戸時代になり七福神が庶民に定着するなかで、インドの神様時代の特徴である財宝の神としての役割も果たすようになってきたようです。
毘沙門天の持ち物や関係アイテム
毘沙門天は、強面(こわもて)で武闘派の仏様ですが、仏様のなかには、似たような感じのものが多いですね。他の四天王や十二神将をはじめ、不動明王など明王とも、ぱっと見区別がつきにくものです。
そこで、毘沙門天ならではのアイテムとして欠かかせない持ち物や、ゆかりのある動物「寅」や「ムカデ」などについて、以下にリストアップしてみました。
寶塔…毘沙門天が左手の手のひらにのせています。釈迦の骨を収めた仏塔で、毘沙門天が仏教に帰依し、釈迦の教えを理解していることを表しています。
鉾…宝塔と反対側の手には3つ又の鉾や、宝棒を持っています。宝棒は、煩悩や仏の教えに反するものを撃退する武器です。
邪鬼…毘沙門天は一匹から2匹の小鬼を踏みつけていたり、鎧のお腹のところに鬼の顔の装飾があったりします。この鬼は仏法に反するものとして毘沙門天に退治されていますが、天邪鬼とも言われ、いわゆる「あまのじゃく」の語源となっています。
寅…毘沙門天が日本デビューしたきっかけは聖徳太子です。仏教支持者の聖徳太子が、反仏教派の物部氏との闘いに挑む直前に毘沙門天から戦術を賜ったといわれます。その時が寅年寅月寅の日寅の刻だったことから、寅は毘沙門天を象徴する動物になりました。各地の毘沙門天では狛犬の替わりに狛トラが入口を守り、寅の焼き物を奉納する「身代わり寅」など、毘沙門天と寅は、切っても切れない関係となっています。
ムカデ…ムカデが毘沙門天と結びついた理由は定かではありませんが、ムカデが鉱山の守り神で、毘沙門天がもともと地下に眠る財宝を守るところから、ムカデが毘沙門天の遣いと言われるようになったようです。毘沙門天の山門の額や御朱印にムカデがあしらわれることもあります。
毘沙門天のお参りの仕方と御利益
毘沙門天は仏式でお参りする
毘沙門天は、七福神のメンバーでもともとはヒンドゥー教の神さまですが、仏教に帰依し仏教界を守る護法尊となっています。毘沙門天は仏様の仲間です。
ですので、毘沙門天をお参りする場合は、神社のように「二拝二拍手一拝」をする必要はありません。静かに手をあわせて(合掌)、ほんらいは真言を唱えますが分からない場合は、ただ、ふつうにお願いごとや日頃のお礼などを述べればよいでしょう。
神社の境内に毘沙門堂がある場合もありますが、毘沙門堂には拍手は不要です。
毘沙門天の御利益は?
毘沙門天の御利益としては、まず闘いの神であることから、勝負祈願・合格祈願・武道成就などの御利益があります。ビジネスの闘いに勝つという意味から商売繁盛・事業隆盛・会社繁栄・立身出世の御利益があるとも言われます。
またもともとヒンズー教では財宝神で、四天王の多聞天としても北方の財宝を守る役割をしていることから、金運アップ・蓄財にも御利益があります。
毘沙門天は同じく天部の神様である吉祥天と結婚している数少ないカップルの神です。そのことから、毘沙門天には夫婦和合のご利益があるといわれることもあります。
いずれにせよ、毘沙門天のご利益は、あくまでも仏教系のものです。仏教の基本は、自分自信の精神性を高めていくことにあります。何がなんでも「神頼み」では解決しませんので、そのあたりはふまえたふえで、毘沙門天にお参りしましょう。
各地の特徴ある毘沙門天
毘沙門天は、全国各地に広がっていて、お寺の本尊や脇侍として、あるいは本堂とは別に「毘沙門堂」があったり、また、街角に小さな「毘沙門堂」だけがあることもあります。とくに七福神巡りだけでも全国津々浦々にあるわけですから、かなりポピュラーな仏尊です。
仏像としても毘沙門天像は国宝級のものや、13世紀の仏師・運慶作といわれるものが多くあります。博物館や寺院の宝物館などに展示されている毘沙門像もありますが、本尊としてまつられているものは、秘仏として、ふだんは直接観られないものが多いです。
寅にちなんで、寅月である旧暦の1月や、12年に一度の寅年にのみご開帳されることもあります。
毘沙門天のご本尊は拝めなくても、狛犬ならぬ「狛寅」をチェックするだけでも、毘沙門天参りが楽しくなるものです。
以下に、全国の毘沙門天から、とくに特徴があるものやユニークなものをピックアップして紹介していきます。
信貴山朝護孫子寺(奈良県)
●御本尊像の拝観:祈祷を受ければ随時観覧可能(中秘仏・奥秘仏は特別開帳の時のみ)●開創:587年
●所在地;奈良県平群町●アクセス:JR・近鉄・王子駅バス20分徒歩5分、近鉄・信貴山下タクシー10分、西名阪自動車道・香芝IC30分
今日は信貴山へ。虎の置物がいっぱい! pic.twitter.com/RQTczFLEIk
— ヤング K (@kuromame_kaspi) August 5, 2017
聖徳太子が信貴山(しぎざん)で寅年寅の日寅の刻に毘沙門天から必勝の秘法を授かったことにちなみ、聖徳太子が開山させたお寺。その時が、日本ではじめて毘沙門天が現れたと時と言われていて、いえば信貴山は毘沙門天日本上陸の地。ですので朝護孫子寺は毘沙門天信仰の総本山となっています。
外からは毘沙門天像は見れませんが、本堂で祈祷を受ければ、善膩師童子像、吉祥天像を左右にたずさえた毘沙門天王像(信貴山三像)や毘沙門天王二十八使者像を拝観できます。
広大な境内には信貴山のシンボルでもある巨大な張り子の寅や、戒壇めぐりなどもあり、充実したお参りができる毘沙門天となっています。また、毎年2月(寅の月)におこなわれる「信貴山寅まつり」は、張子の寅の奉納をはじめ、寅行列、寅娘など、寅にちなんだフェスになっています。少なくとも寅年生まれの人は要チェックですね。
鞍馬寺(京都府)
●御本尊像の拝観:60年に一度の丙寅年(次回は2046年) ●開山:770年
●所在地;京都市左京区 ●アクセス:比叡山電鉄鞍馬駅
鞍馬山といえば天狗のオブジェが有名ですが、実は、もともとは毘沙門天がメインとなるお寺です。その証拠に、本殿である金堂前には狛寅がいます。鑑真の弟子である鑑禎(がんてい)が鞍馬山で鬼に襲われたところを毘沙門天に助けられたことをきっかけに、開山されました。もともと修験道の修行地でもあった鞍馬山は、牛若丸が修行をしたところでもあり、天狗の聖地でもあり、密教・天台宗の寺院となっていた時期もあります。このようにさまざまな宗派の聖地だった鞍馬山では、独特の世界観が形成され、現在では、鞍馬に伝わるさまざまな宗教をミックスした独自の「鞍馬弘教」の総本山となっています。
鞍馬弘教のご本尊は、毘沙門天・千手観音・護法魔王尊の3体をあわせて尊天としてあがめ御本尊となっています。現在のご本尊は秘仏とされていて次回のご開帳は2042年まで待たねばなりませんが、以前の本尊とされる国宝の木造の毘沙門天像を霊宝殿で拝観することができます。
鞍馬寺周辺は奥の院参道から貴船神社まで抜けるハイキングコースとなっていて、雪景色・桜・紅葉と四季を通じて自然のなかで霊験をえられるパワースポットです。ぜひ一度は訪れたい、霊験あらたかな毘沙門天天の聖地です。
大岩毘沙門天(栃木県)
●御本尊像の拝観:毎月1日、正月3日に御開帳 ●開創:745年
●所在地;栃木県足利市 ●アクセス:JR山前駅徒歩60分※毘沙門天へは最勝寺境内よりさらに徒歩40分、北関東自動車道足利IC30分
栃木県立自然公園の山中にある毘沙門天で、聖徳太子の作と伝えられる1寸5尺(4.5㎝)の純金の毘沙門天像が御本尊としてまつられています。信貴山、鞍馬山にならび、日本三大毘沙門天のひとつに数えられています。奈良時代の開祖で境内にある樹齢600年の杉が歴史を物語っています。現在の毘沙門天本堂も1762年に再建された古いもので、歴史と風格を感じさせます。
毘沙門堂はハイキングコースの途中にもなっている山中にあり、運慶作の山門の仁王像など厳かな雰囲気で、霊験あらたかにお参りができます。
ふもとの最勝寺では各種祈願の護摩炊きをしてもらえるほか、毎年大みそかに開催される「悪口(あくたい)まつり」や元日の「滝流し」がユニークなまつりとして有名です。悪口まつりについては⇒「悪口まつりと悪態まつり〜ふたつの奇祭」の記事を参照してください。
神楽坂・毘沙門天善國寺(東京都)
●毘沙門天ご本尊の観覧:正月および5月と9月の寅の日 ●開創:1595年
●所在地;東京都新宿区 ●アクセス:東西線神楽坂駅徒歩5分、飯田橋駅徒歩7分
*#神楽坂毘沙門天#毘沙門天 pic.twitter.com/tDDssHty6J
— まゆ@ 小さなhappyを求めて🌻 (@mayuchilrin) February 7, 2018
「神楽坂の毘沙門天」として、江戸時代から庶民に親しまれている毘沙門天です。こじんまりとしたお寺ですが、あざやかな朱色の門や、毘沙門天ならではの「狛寅」が印象的で、近くの赤坂神社とならんで神楽坂のパワースポットとして訪れる人が絶えません。
ジャニーズの人気アイドルグループ「嵐」の二宮君の主演ドラマの舞台となっていたことから「嵐の聖地」とも、されています。ジャニーズファンの人たちが、コンサートのチケット取りに後利益があるとして、絵馬を奉納するのが定番になっています。
毎年7月下旬に開かれるほおずき市の会場にもなる毘沙門天は、江戸風情を今に伝える神楽坂のシンボル的な存在にもなっています。
山科毘沙門堂(毘沙門堂門跡)(京都府)
●御本尊像の拝観:330年に一度 ●開創:703年
●所在地;京都市山科区 ●アクセス:JR・地下鉄・京阪山科駅20分、迷信自動車道京都東IC
最澄(伝教大師)が作ったといわれる毘沙門像を本尊としてまつっています。「毘沙門堂門跡」とも呼ばれるお寺ですが、門跡(もんぜき)とは、門の跡地という意味では無く、皇族が住職を勤める寺院という意味です。御本尊は秘仏とされ次の御開帳の近々の予定はないのですが、本堂で前立ての毘沙門像を見ることができます。
また、御朱印が、季節限定などのバリエーションが多く、センスも可愛いので人気があります。さらに、紅葉の絨毯や、枝垂桜の古木など、とても美しい自然とお寺のコラボ風景を満喫できる、紅葉や桜の穴場でもあります。
江戸時代に寺院を再建した際に、日光東照宮に縁があったため、神社風のテイストが入り混じった建物が特徴的で、お寺なのにしめ縄があったりもします。また宸殿には、狩野益信筆のトリックアートの屏風絵など、見所の多い毘沙門天となっています。
東寺・兜跋毘沙門天像(京都府)
●毘沙門天像の拝観:春と秋の宝物館特別公開期間中 ●開創:794年
●所在地;京都市南区 ●アクセス:京都駅徒歩15分
東寺来たら毘沙門天像の公開日だったぁぁ、、!!!最高………( ͒ ́ඉ .̫ ඉ ̀ ͒)愛染明王様と一緒に見れて、1人上杉軍充だった………… pic.twitter.com/H3jKdhg5JM
— APOLIA 藤﨑彩 (@KOOOOUUUUKAAAA) April 13, 2016
東寺に残る貴重な仏像を代表するもののひとつが、兜跋(とばつ)毘沙門天像です。兜跋毘沙門天は王城守護に役割を特化した毘沙門天で、もともとは平安京の守護神として羅城門に飾られていた仏像です。唐代の中国のエキゾチックで洗練された雰囲気のこの兜跋毘沙門像は、平安京の文化を今に伝える、とても貴重な遺産でもあります。
国宝の兜跋毘沙門天像は春秋の特別公開期間中のみ拝観できますが、講堂の立体曼荼羅のなかの四天王のひとり多聞天像は常時拝観できます。また都七福神のひとつとなる毘沙門堂も東寺の境内にあります。
多聞院・毘沙門堂(埼玉県)
●毘沙門天ご本尊の観覧:12年にごと寅年の5月1日 ●創建:1696年
●所在地;埼玉県所沢市 ●アクセス:西武所沢駅からバス多門院入口下車20分
多門院の身代わり虎。 pic.twitter.com/abeenmcjGb
— まつもと 小路Ⅱ (@akaecro5) September 4, 2016
小さな虎の焼き物に願いごとを書いて奉納する毘沙門堂。ずらりと並んだ「身代わり寅」の可愛さがたまらない人気の毘沙門天です。ネコのような可愛い狛犬ならぬ狛寅も必見です。
多聞院本堂のご本尊は大日如来ですが、宝塔山多聞院という寺号のように毘沙門天がメインの寺院です。というのも、武田信玄がお守りとして兜のなかに潜ませていたと言われる毘沙門天像をご本尊としているからです。一寸四分(約4㎝)の毘沙門堂の本尊は12年に一度だけ御開帳の秘仏ですが、寅を中心に毘沙門天の雰囲気をたっぷり感じられるお寺となっています。
多門院は4月~5月には300株ものボタンが咲く「牡丹の寺」としても有名で、瓦投げの厄払いなどもあり、見所が多いお寺です。
成島毘沙門堂・兜跋毘沙門天像(岩手県)
●毘沙門像の拝観:常時 ●仏像作成:10世紀頃
●所在地;岩手県花巻市 ●アクセス:JR新花巻駅タクシー10分、東北道東和IC5分
木造の毘沙門天像としては日本最大の4.7mのケヤキ一本彫りの兜跋毘沙門天像が見られます。明治の廃仏毀釈により毘沙門堂と像だけが残っていて、泣き相撲で有名な隣接する三熊神社の管轄になっています。御朱印も三熊神社と毘沙門天が対になったかたちでいただけます。
一本のケヤキから掘り出した、大迫力の毘沙門像は、作者や制作の背景など詳しいことはわかっていません。護国を目的とした兜跋(とばつ)毘沙門天ならではの唐代の武将風のスタイルですが、細部までバランスのとれた大きな仏像として芸術的な評価も高い作品です。
達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂(岩手県)
●毘沙門像御本尊拝観:33年に一度次回2042年 ●開創:801年
●所在地;岩手県平泉町 ●アクセス:JR平泉駅よりタクシー10分、東北道一関ICより15分
岩にのめりこむように建てられた懸造り(がけづくり・清水の舞台のようなやつ)の毘沙門堂。もともと108体の毘沙門天がまつられていましたが、火災で焼失し、現在は30体ほどの御本尊がまつられています。毘沙門像は30年に一度の御開帳です。
征夷大将軍・坂上田村麿公をまつる独特の田村信仰で、神社とお寺が一体となった神仏習合を行っているパワースポットとして有名です。最強のお札とされる「牛玉寶印(ごおうほういん)」も限定頒布されています。
明治時代の地震で体部分が崩れ顔だけ残った顔面大仏や、カップルは別々にお参りするべき弁天堂など見所が多い毘沙門天です。
一条院・毘沙門天像(茨城県)
●毘沙門像の拝観:常時 ●開創:1387年
●所在地;茨城県那珂市 ●アクセス:JR水郡線・常陸鴻巣駅徒歩20分、常磐自動車道那珂IC
水戸藩にもゆかりのある茨城の古刹で、地元ではツバキを中心に花の寺とも知られる一条院。本尊は不動明王ですが、高さ13mで青銅製の日本一の毘沙門天像が2007年に作られました。
迫力ある毘沙門像の下は曼荼羅のお堂となっている他、境内には七福神をはじめ、さまざまなオブジェや仏像、「天から降りてくるおみくじ」など、さながらテーマパークのような趣向をこらしたお寺です。
ユニークで現代的なアプローチの多いお寺ですが、毘沙門堂内の毘沙門天本尊は、鎌倉初期の名仏師・運慶の作品の可能性もあるとされ、県の文化財にも指定されています。
富士毘沙門天(静岡県)
●毘沙門像の拝観: ●開創:1627年
●所在地;静岡県富士市 ●アクセス:JR・岳南鉄道吉原駅徒歩10分、新幹線新富士駅タクシー15分
聖徳太子に縁故のある毘沙門天像を本尊とする妙法寺は、旧暦1月7日~9日に開かれる「だるま市」で有名です。富士市は製紙工場が盛んな地域で、あまった紙を利用して作るだるまが特産品です。富士毘沙門天のだるま市は
高崎・深大寺とならぶ日本三大だるま市に数えられています。
富士毘沙門堂境内には無国籍風のユニークな建物がならびます。中国風の香炉堂や、ネパール風の目が描かれた仏塔、だるま、と不思議な雰囲気の空間になっています。ネパール式の仏塔の下は全長150mの地下洞窟が作られていて、七福神めぐりができます。
工場夜景が楽しめるローカル線岳南鉄道の比奈駅(新東名駿河湾沼津ICより)の無料駐車場が100代解放されるため、比奈駅に自家用車を止め、そこから岳南鉄道で吉原駅に向かい富士毘沙門天を訪れるコースもおすすめです。
以上、毘沙門天について、特徴や後利益や、全国の毘沙門天スポットなどについて紹介してきました。
インドの神様が、仏教に取り入れられ、寅と結びついたり、七福神のメンバーになったりと、時代とともにいろいろな変化を遂げてきています。最近はゲームの設定としてもポピュラーな毘沙門天ですが、毘沙門天をきっかけに、仏の心に触れてみるもよいかもしれませんね。
なお、毘沙門天と似た仏様にお不動様がいます。実は、お不動様は毘沙門天よりも「格上」の存在です。詳しくは、⇒「お不動様の基礎知識と訪れてみたい不動尊14選」の記事を参照してください、